2024年10月18日金曜日

うつ病、体毛や傷をむしる行為

落ち着きがない、つまりじっとしていられない。
はぁーっとため息をついて、下を向く。
頭を抱えて下を向く。
身体を掻きむしる。傷つくと傷を向く。何度も、何度も。
全身の体毛をむしりはじめる。
布団はあちこちに血がついて、部屋中毛が落ちている。掃除機もぎょっとするほど毛が。
頭の毛はやめたら?って言っても、ダメ。身体が勝手に動いている。
うーーって唸ったりもする。さすがに子どもたちも様子がおかしいって思ってしまうので、あまりにひどいときは外に連れ出す。
一緒に何時間も散歩をする。
その時に色々話ます。
でも何を言っても聞かない。「違う、やばい、どうしよう、」と繰り返します。
家でのんびり様子を見るといレベルではなくなってしまった。
わたしの力だけではどうにもならなくなってきた。
病院で処方された薬は、睡眠導入剤と、抗うつ薬の錠剤の量が半分になっているやつ。
もう、嫌がっているけど薬を飲んでもらうしかないと思いました。

2024年10月15日火曜日

うつ病の被害妄想「親父に殴られる!!!」

9月も4週目に入ったころ、旦那さんは相変わらず寝れず、食べれず。相談相手いないの?
会社の人で相談できるような人はいないらしい。
友達もほぼいない。趣味もほぼない。 会社休み初めて数日くらいは、何か趣味見つけようかな、とか株価見たりとかする余裕があったようですが、今はそんなこともできません。
とにかく相談相手が欲しくて、兄弟と連絡を取ったようです。 旦那さんは3人兄弟の長男。次男とは年に2回ほど、夏とお正月に会っていましたが三男とはもう何年も連絡を取っていませんでした。
旦那さんからお金を借りたのに返してないとかそんな感じの理由で、旦那さんは気にしていませんでしたが三男くんは顔を合わせにくくなっていたようです。
でも今回、次男に三男の連絡先を聞いて三男にも会社に行けてない状況を話したようです。
長男として今まで頼られる側の絶対的存在だったので、それでも弟たちに頼らないといけないくらい追い込まれていたんです。
今までじゃ考えられなかったと思う。弟たちに頼るなんて。
これも一種の長男の責任感なのかな。わたしは第2子なのでよくわかりませんが。
わたしも、ひとりで相談にのるのも限界かなって思っていたので、実家に帰ってみたら?といいました。
すると「いや、んー、いやいい」と謎に拒否します。
やっぱりこんな弱っいる姿を、兄弟には見せたくないのかな?と思っていました。
それにしても本当にスマホばかりいじって、ため息ばかり。前だったら私がため息つくと「幸せ逃げるよ」って自分はため息なんてつかなかったのに。
でも本当にため息って周りに負のオーラまき散らすんだな。とわたしは学習しました。反省。
あまりにも状況がよくならないので、もう一度「お母さんが家にいるんだったら少し帰って、実家でのんびりしてきたら?」実家へは電車とバスで1時間ほど。
そんなに遠くありません。
「じゃー行くか…」と。
何がそんなに嫌なのか聞くと、
「おやじに殴られるかも」という。しっかりしろ!!って殴られる。と思っていたのです。
そんなわけない!!!!お義父さんには何度も会ってるけど、そんな人ではまったくない!!ありえない!!
今思えば、この”殴られるかも”が私がはっきりわかった、うつ病の被害妄想の始まりだったと思う。
そんなはずない。そんな人ではないよ!と何度言っても、「いや・・・いや・・・殴られる・・・」と。
でも実家に行きました。父親は仕事でいないと思って。そして次男もいるから、母親と次男に会いに。
旦那さんが出かけて、なんだか私久々にほっとしてる。すごくホッとしていることに気が付きました。
わたしも結構疲れていたのかも、と思いました。
毎日のように夜、散歩しては励まして、散歩して励まして、ずっと話聞いたりして。もう実家泊ってくればいいのに。
と思いましたが、夜遅い時間に帰宅しました。
家族集合したそうです。お父さん、お母さん、次男、そして、三男も来てくれたんだって、何年ぶりの再会。いい家族。
「殴られたの?」「いや、、殴られなかった、」「しっかりしろ!って怒鳴られた?」「いや、、、」
ここで普通なら(うつ状態じゃないなら)殴られなかった!考えすぎだったか!ってなるでしょう。
うつ状態だと、たまたま機嫌がよくて助かった。次は殴られるかも。と思うようだ。信じられない。わたしの脳みそ追いつかない…。
でも家族が自分のために集まってくれてお寿司も頼んでくれてうれしかったようです。
少しは安心感が得られたようでよかった。 しかし、ここから本当に数日後、症状がさらに各段と悪くなります。
有給消化をを初めて一か月がたとうとしてるので、そろそろ上司から直接電話があってもいいころだと思っていた。
最近の様子を聞かれて”まだ辛い”と答える。とりあえず”産業医面談”を受けるから大丈夫な日の日程の連絡をして。
と言われたのだけ覚えてる様子。この電話の後、もう完全なうつ状態に突入するのです。

2024年10月14日月曜日

上司からの電話がきっかけで急激に悪化したうつ病

寝て食べてのんびり過ごしてくれているだけでいいのだけどそれができない。
旦那さんがふつうに元気だったころは、頼んでいないのに掃除をしたり、部屋を片付けたり、洗濯したり畳んだり、食器洗いしたり。夕方私が出かけて帰るのが遅くなるときは夜ご飯を作ってくれていたりと、周りのママ友はみんな、本当にいい旦那さんだよねーという。
それらすべてできなくなってしまったようです。
また、このころドライブ行って外食したり、ゲームセンター行ったり何をすれば気がまぎれるだろうか。と試しましたがほぼ上の空。
上の空ならまだマシで、元気だよってフリをする。大丈夫だよ。ってフリ。
それでは気分転換に出かけるなんてしない方がいいんじゃないかと思ってしまう。
そして、適応障害を告げて会社を休み始めて三週間目に突入したとき、上司から電話がありました。
いつも会社の人から電話が来ると洗面所に引きこもって電話をしていたので(元気なとき)この日もそんな感じ。
「みんな心配してるよ。後輩も戻ってきてほしいって言ってるよ。みんな待ってるからな
」みたいな、電話だったようです。
旦那さんはこの電話をうけて「俺のみかたみたいな言い方だけど、あいつが電話しろって言ってるんだよ、会社中の噂になってるんだ」という。
こんなささいな、つまり元気ならなんでもない電話だと思うのですが、今の旦那さんを追い詰めるにはこれで十分だったようです。
会社に戻らなくてはならない、自分は迷惑をかけている、会社中の噂になっている、誰に何を言われるかわからない、行きたくない(行けない)けど、行かなくてはならない。
の無限ループに突入してしまいました。
そして新しい症状が次々と発症しました。「落ち着きがない」「身体を掻く→傷がつく→傷を剥く」
外出がとても億劫になったようです。でも外の空気を吸いたい。ということで、ベランダにいることが増えました。それから、マンションの共用部の屋上。
そして、こども達が「おとうさんどうした?」と少しずつ疑問に思い始めてきてると思って、わたしは必死に明るく優しく振る舞いました。
ですか、ここから本当に一日一日転がり落ちるように状況が悪化してしまいます。

2024年10月12日土曜日

うつ病だけどまだ割と普通に生活できていた時期のこと

このブログは旦那さんに見つからないように隙を狙って描いています。なので、なかなか思うように更新ができません。もどかしい。わたしの記憶が曖昧になってしまう前に全て書いてしまいたい。
2024年9月6日付近の状態
上司に適応障害であることを伝えて有給消化に突入して一週間ほどたちましたか。
娘と買い物がてら散歩したり、息子の陸連大会を見に行ったりしました。
相変わらず全く食欲がありません。なので体力も本当にありません。
陸連の会場へ行くのに電車に乗りましたが、すぐに座席を見つけては座りました。今まで空席でも立っていて、座れば?って促しても大丈夫って言って、よっぽどガラガラに空いてる社内の時以外は目的地まで立っていたのです。
陸連会場は9月だけど36度の猛暑、日がさんさんと照っていて、倒れるんじゃないかと心配になってしまう。
会場について、すでに来ていたママ友のところで私は喋っていましたが、旦那さんは木陰で座りこむ。
息子の出番だけ見て、とっとと帰ることにしました。
体力がもたないからです。
翌日ママ友に「旦那さん大丈夫??!?!げっそりしてたけど」
他のママ友にも「こないだ旦那さんと娘ちゃん歩いてるの見たけど、みんなで、やばくない??疲れ切ってない!?って話てたんだよー!笑」って。
あぁ、、やっぱりもうそんなにはたから見ても【おかしい】ってわかってしまうレベルなんだな。とショックを受けました。
わたしは旦那さんに「ママ友にこう言われたんだよ、もう、誰が見ても病人に見えるみたいだよ」と言いました。
言わない方が優しい妻だよね。でも、自覚して、食べるのをがんばってくれないかな。と思ったんです。
2024年9月10日
二度目の精神科受診日。今日は抗うつ剤が処方されたそうです。前回は睡眠導入剤のみ。
しかし、自己判断で飲みません。この薬をめぐる闘いがまた大変でした…
このころ、「ごめん」が増えました。

2024年10月11日金曜日

うつ病による有給消化が始まったが

2024年9月3日を最後に出社できなくなった。
有給消化スタートしました。まだこのうつ病を甘く見ていた私はこんな提案をしてしまいました。
次の仕事が決まるまでずるずる会社に在籍して、次の仕事が決まったら退職でいいんじゃない?と。
これが一般的だよね。と私自身を納得させていましたが、ま、私はうつ病の元凶の会社の給料が魅力的に思っていて辞めてほしくはなかったというのが本音。
だから、次の仕事が決まったら退職。と言っておきながら、あわよくば体調がよくなったら、そのまま仕事復帰できるかな。とか思っていたのです。
(これが本当に良くなかった…)
(この時さっさと退職手続きをすればよかったのです…)
この時点での旦那さんの精神状態ですが、ずっとスマホで調べものをしています。
ちらっとスマホを覗いたときに目にしたのは、うつ病の治し方とか、今後の仕事とか。
わたしは参考になればいいなと思って、Shrink~精神科医ヨワイというマンガをすすめました。ちょうど2話目あたりのテーマが「微笑みうつ」だったからです。
ですが、スマホで色々検索しているのに、こういう本?マンガは読めない?頭に入ってこないというかすごく疲れるといっていました。
なので結局読まず。
それから仕事に行けてない、本当は働かないといけないのに。って思っているせいで家でダラダラ何も考えずに休むということができない様子でした。それはそうか。
わたしは一時的に休むだけで、良くなれば元通り生活できるわけだし。と冷静でいられました。
ただ旦那さんが、「Uber Eatsやろうかな」って言ったとき
マズイかもしれない。お金に困って、貧困生活。ここに住み続けられないかも。と、おそらく旦那が心配してることがわたしの脳裏にもよぎったのです。
この時は不安でそわそわしてどうしよう、どうしよう。と考えました。
でもすぐに、あ、これが今の旦那さんの状況か。これはきついだろうな。
と、客観視できました。危ないところだった。それこそ夫婦二人でうつ病にでもなったら大変だ。
とにかく私だけでも先の心配はしない!と決めました。
相変わらず食欲はまったくない。今まで食べていた量の食事を用意しても食べれるのは1/5程度。体重は65kgあったのに、55kgになってしまいました。
今は食べて寝てればいいんだよ。と言ってもダメです。
会社休んだら少しは良くなるかな。なんて思っていましたが、ここから階段を転げ落ちるように悪くなっていきます。

2024年10月10日木曜日

適応障害(うつ病)いよいよ出社できなくなり会社に電話すると

なぜこんなギリギリまで転職や退職の決断ができなかったのか。
それはやっぱり、家族を支えなければいけないという責任感でしょうね。
育ち盛り中三受験生の長女、部活盛り中一長男、食べ盛り小四次女。
また転職して一年ほどたちますが、前の会社に比べればかなり大手の企業。
基本給は少ないものの、ボーナスが出たり、手当が出たりと目に見えてお給料は上がりました。
なので上司に恵まれなくても耐えてがんばっていたんだと思います。
朝、上司に出社できないと電話していました。
すると、上司に少しでも罪悪感が芽生えたのか「夏の有給は使ってないことにしておくから、有給消化というかたちでゆっくり休んで」と言ったそうです。
(そんな自由自在に勤務表いじくっちゃうの?)
旦那さんは電話ごしにニコニコしながらありがとうございます!とか言ってしまう。 子ども達には、おとうは夏の間たくさん働いたから9月から夏休みなんだよ。と言っておく。
受験生の娘を不安にさせたくはない。
でもここからみるみる症状が悪化していくのです。

「適応障害」の診断書見た上司の反応は

フラフラで会社から帰宅してきた旦那さんに聞いた。
すると、適応障害の診断書を見せたと。
そしたら上司は優しく「俺にも大変なときがあったよ」とか「すごい痩せたよね」とか言ったそう。
で、休むって話にはならず。今まで通り「今日この後自宅待機だから」という旦那さん。
は?自宅待機??
自宅待機とは、夜間、いつでも電話に出られる状態にしておいて、作業が発生した場合は現場に向かうという勤務形態です。
なにいってるの?眠れないから睡眠導入剤処方されてて自宅待機って無理だよね?
診断書見せたんだよね??おかしくない?
「あ、そっか、今日は薬飲めないな」おい、そこじゃねーぞ。
わけがわからない。
で、次の日、自宅待機は結局呼び出しがなかったもののほぼ眠れず、そのまま出勤。
そして、プツンと切れて、これを最後に出社できなくなりました。

うつ病に気が付いたきっかけ

この日までは、ただ夏の間働きすぎて疲れが溜まっただけだろうと思っていました。
電動自転車の寿命が近かったので、新しい自転車を見に行こうと二人で電車で出かけることにしました。
異変①歩くのが遅い。
本当に歩くのがつらいみたいで息を切らしながら歩いていました。
異変②電車内でぐったりしている。
高熱で病んでいるみたいにぐったり、いつも席が空いてても立ってる人なのに、もう座らせた方がいいんじゃないかというほどフラフラ
なんとか自転車売り場まで行ったものの、とても歩いて見て回るという雰囲気ではない。これはおかしい。と思ってもう帰ろうと言いました。
帰りの改札に向かう途中、「俺はちょっと少しこの辺散歩してから帰るから先に帰ってて」と言われる。
おかしい。確かに来たばかりで帰るのはもったいないと普段なら思うけど、どう考えてもこんなクタクタな状態で散歩したいなんておかしい。
とりあえず、「わかった」といっていったん離れたのですが、ふと「死んでしまうんじゃないか」と頭をよぎったので、旦那さんを追いかけました。
で、どこいくの?と聞くと、
「悩んでるんだけどやっぱり精神科に行こうかと思って…あ、でもやっぱりいいや、あーどうしようかな、やっぱりいいや!」みたいな。
いや、行った方がいい。絶対行かないとだ。
ということで、予約を取って、一緒に病院へ行くことにしました。
本当に入口の前まで来ても、やっぱりいいや!って行こうとしないので、入り口入るところまで見守って、入ったのを確認して、わたしは近くのカフェで待っていました。
1時間ほどでカフェで合流しました。
そして、処方箋と、適応障害の診断書をもらってきました。
カフェで何か食べる?か聞いても、食欲ない、いらない。と。
でもアップルパイを買ってきたら全部食べていました。
食べているときも、とにかくぐったりしている。ただ適応障害の診断書はもらえたので、これで会社は休めると、ちょっと安心している様子でした。
夜、処方された睡眠導入剤は飲みませんでした。
翌日、いつも通り出社していきましたが、昨日のフラフラ状態を思い出し、辿りつけるのか不安になりました。
で、夜フラフラで帰宅しました。上司に診断書は見せたと言っていました

2024年10月9日水曜日

旦那さんがうつ病になって、一か月ほど経ったのでブログを始めてみた

旦那さんがうつ病になって一か月ほど経ちました。
うつ病になった原因は、会社です。
やったことのない仕事のストレス、ミスが許されない仕事のストレス。
詳しく書くと、仕事上ミスは許されないので、必ず2人組以上で現場に向かって作業をします。マニュアル、仕様書がきっちり用意されています。
作業が終わったら報告書をしっかり書きます。そんな仕事です。
旦那さんは高校卒業して新卒でこの業界に入っています。
今回うつ病のきっかけになった会社に入社したのは一年ほど前です。
家族を支えなくてはいけない。辞められない。逃げられない。という感じで現在うつ病です。
ざっくりうつ病の経緯を書きましたが、また詳しく書いていこうと思います。
また旦那さんの元々の性格は、本当にとにかく真面目!これはうつ病の人あるあるなのかな。そしてとってもポジティブなんです。さらに自己肯定感が低いわけでもなかった。これ驚きませんか?わたしだけなのかな。
それが今ではネガティブ100%の自己肯定感0%に見えます。これがうつ病かと思いましたよ。
旦那さんは3ヶ月ほどでマイナス10kg痩せました。
現在は退職代行にお願いして退職手続き中です。
この退職代行にお願いするまでも…大変でしたよ…。後ほど。
わたしの旦那さん、一番大切なものが「家族」です。そして真面目な性格なので、こうなったすべての原因は自分にあるとして、わたしを始め子ども達に八つ当たりをすることはいまのところ一切ありません。
そんなに背負い込まないで吐き出せばいいのにと思いますが、吐き出されて八つ当たりされるパターンのうつ病だったら、どうなっているのだろう。と、ぞっとしてしまうわたしもいるのです。
そんなうつ病の旦那さんと共にこれから生活をしていくことを記録していこうと思います。

うつ病、体毛や傷をむしる行為

落ち着きがない、つまりじっとしていられない。 はぁーっとため息をついて、下を向く。 頭を抱えて下を向く。 身体を掻きむしる。傷つくと傷を向く。何度も、何度も。 全身の体毛をむしりはじめる。 布団はあちこちに血がついて、部屋中毛が落ちている。掃除機も...